・各業務のフローをただ覚えるのではなく、理由・背景を把握し、必ず押さえるべきポイントを理解すること
・インハウスのプロフェッショナル人材として、自身の担当しているビジネスについての構造や収益を生み出すポイントなどを確りと理解すること
・(会計分野が専門外の方など向けに)専門分野の説明をする際には、なるべく平易な分かり易い説明とすべく、ポイントを整理すること
初期の段階でいうと数値目標でどうしても折り合いがつかない部分も有り、その際、現実感のない数字を作ってしまうと、現場のやる気もなくなってしまう。そこの落としどころはどこかというコミュニケーションは丁寧に行うようにしていました。
To株主という観点では、現実的に積み上げてロジカルに説明していくしかないというところで、納得させるようなコミュニケーションは取る必要がありました。
私が所属した期間を通して考えると、株主さんに対して会社として抱えている問題などの事実はしっかりお伝えする。どういう人がどういうことを思っているかなど、会社は人が動かしてるので、もう少し人間模様じゃないですが、そういった部分もご理解いただくように心がけていました。特に私みたいな外部採用の人間と内部でマネジメントになってる方もいるので、その関係性ですね。その関係性で摩擦が起きたりはしがちだとは思うんですが、その辺りも含めてどういう状況か結構つまびらかに伝えるようにしていました。
逆方向の話で言うと、プロパーの方に対してはファイナンス関連、契約や知識等のハードスキル面などについては、かいつまんでわかりやすく説明をするように心がけていました。
― 現職に着任された際、投資先社員の方たちと関係を築く際にどういった事を心がけてこられたのでしょうか。
教えてくださいというスタンスで取り組んでいました。特にホテル業は私も経験が無かったですし、初めてで不明点も多かったので、そこは素直に分からないので教えてくださいというスタンスでいきます。一方で、こちらから専門性やハードスキルの部分で提供できることはします。ある程度、この人はスキルセットが伴っていてなんか会社の事業を分かってくれそうというのは感じてもらわなきゃいけないと思う。ハードスキルとソフトスキルの使い分けな気がします。私の専門分野である一般的な会計・財務面で判断が出来る話もありますが、もう少しビジネスに突っ込んで行くと理解が出来ていない部分がやはりありました。そういった私が不明瞭な部分に関して投資先の社員の方々は感覚的に理解しているので、その感覚の部分をしっかり教えてもらって、それを実際の数字に落とし込むとこんな感じだよねみたいな、そういうコミュニケーションは最初のうちにしっかりやっておかないといけない。
最初は教えてくださいというスタンスで関係性を構築しつつも、早めにのタイミングでこの人ってビジネスに対する理解があるなというのも感じてもらわないといけないと思い、キャッチアップに対してはかなりスピード感をもって取り組んでいたと思います。
さらに次のステップにいくためには汗をかくことも大事かと思っています。特に私が入ってから予算の制度をガラッと変える機会が有りました。ファクトベースでしっかり経営推進していきましょうという体制に社長以下で方針として出している中で、予算も過去のファクトベースで作りましょうと言うのは簡単なんですが、実際やってみるとやはりやり方がわからない部分はある。ここはそういう方針を出した手前自分も頑張ろうということで、それこそ各部署と一日中、朝から晩までずっと会議室にいるのが1週間2週間続くみたいなことをひたすらやりました。そうすると、翌年度になると、一緒に手を動かしながら社員の方も学び、精度が向上していく。会社のメンバーの成長が見れるのは自身の仕事の成果が目に見えますし、やっていて凄くよかったなと感じますし、会社のメンバーも自身の成長を感じることができ、そこまで一緒に汗をかくことで信頼を勝ち取れた部分もあるかなと思います。一方で、あの人はすごく数字に細かいしうるさいから怖いなと思われることも多分あったと思います。
― 日本企業成長投資(NIC)様については注目されているファンドの一つかと思うのですが投資先でやり取りをされてどういった印象を持たれましたか。
会社マネジメントの意見を尊重しつつ、会社の経営改善、業績向上に資する取組であれば尊重、賛同、支援頂けるという印象を持ちました。ファンド投資期間における会社成長のみに縛られることなく、会社として長期の成長に向けた取り組みについてもご理解いただき、支援して頂いたと感じています。例えば、現職ではブランディングの部分になると思います。短期的には収益貢献があるかは定かではないですが、会社の長期的成長というところをサポート頂いたと感じます。
加えて、投資先マネジメント陣とのコミュニケーションについては重要視されていると感じており、個々の成長についても後押し頂き私個人としては凄く成長できる機会を頂いたと思っています。具体的には、入社後2週間に1回CEO、ファンドのパートナーと担当の方3名で私のフォローアップも兼ねて機会を作っていただいた。またCEOも年に1回ファンド側から私のフィードバックを取って頂き、良かった点、要改善点を頂けとても有難く感じました。
振り返ってみると20代の私は、とにかく「仕事ができる人」、「仕事場で充実感を得ている人」という人物像を思い描いていたように思います。人目につかないところで、こっそり書籍を買いあさって自宅(当時は会社の寮)でコツコツ勉強していましたね。 当時の職務であった外国為替取引に関する本を買って学習していました。インターネットもない時代でしたので、書籍が頼り。周囲に専門的な知識を持っている人も少なかったので、今は亡き八重洲ブックセンターへ数知れず通っていました。当時所属していた商社は、仕入の9割近くは輸入という状況でしたので、国際金融取引が事業運営に必須でしたし、この分野の金融理論って結構実際に業務やってない人にとってはとっつきにくい分野でもあるので、若手時代から社内各部門から種々相談が寄せられるようになりました。
商社時代、ほぼ3年周期で転勤等、環境変化があったことも、若手時代にあった重要なイベントであったと思います。商社入社後、東京本社 金融商品部門、大阪支店財務経理部、米国現地法人ニューヨーク本社出向、同社アカウンティング、帰国後、他商社との合併、財務経理部という経緯です。中でも20代でニューヨーク マンハッタンの事務所で働く機会を得たことは当時の私には大きな刺激と仕事に打ち込むモチベーションに繋がりました。
証券会社に約3年半勤務したのち、20代でスタートアップに転職していますが、そのときも自分が人生でやりたいことをやるということを判断軸に決断をしました。
これは、最後にあとで人生を振り返ったときにやりたいことをやれたか、やらずに後悔するよりやって後悔の方がいいかなという風に思った事、大学の研究所の2個上の先輩が作った会社でアクセルスペースという場はすごい面白いと感じた事から飛び込んだという感じです。
当時は良くも悪くもリスクに対して鈍かった、何とかなるみたいなそういう楽観的な部分と、その当時の技術の可能性については自分がよくわかっている分野だったのでリスクを取りやすかったのかもしれないです。
大学卒業後、3社であわせて10年間コンサルティングをしていました。企業再生のプロジェクトに多く関与し、その経験の中で経営管理の基本やデットIR、M&Aなどの知見を学びました。その後、PEファンドの出資先での部長職、経営職を経て、現在キャスターで取締役をしています。
― どんな学生時代を過ごされたのでしょうか
高校生の時は、部活でサッカーをしているか友達と遊んでいるかのどちらかで、学生ならではの自由を満喫していた気がします。勉強は苦手というか、ほとんどしていなかったです。特に英語や歴史などの覚えることの多い科目が苦手で、よく追試を受けていたのを覚えています。逆に、数学は比較的得意でした。1つの方程式だけ覚えればたくさんの問題に答えられるので、私にとっては今風にいうとタイパのよい教科でした。学校の行事でも・イベントでも裏方でマネジメントやプランニングを行うのが得意で、企業の裏方でサポートするという分野に興味を持ちました。そんなときに高校の図書館で「コンサルタントになるには」という本を読み、将来はコンサルになろうと薄っすらと考えていました。その後、アメリカで学ぶ事が将来的にコンサルタントとして活躍するために有効なのではないかと感じアメリカの大学に進みました。
アメリカの大学では1-2年生のときは英語での授業についていくために必死で勉強しましたが、3-4年生のときには慣れもあって、またあまり勉強しない学生に戻ってしまいました。ただ、この時に会計学を専攻していた(最終的に経済学で卒業していますが、会計学、MIS、経済学を専攻していました)ことから、ビッグ5(当時)会計ファームに入社したいという思いが強くなり、今のキャリアにつながったのかもしれません。コンサルタントになりたい方はマッキンゼーやボスコンを第一志望にする方が多いかもしれませんが、私はこの2社は受けておらずトーマツコンサルティング(現デロイト)が第一志望で、ほかの志望企業も会計系ファームが中心でした。
― ご自身の若手時代(20代)で特に印象的だった経験、意識されてきた点はどういった事だったのでしょうか。
トーマツコンサルティングに入社した初日に、パートナーからの入社祝辞があったんですが、その時の言葉は常に意識していますね。若干記憶の改ざんがあるかもしれないですが、
1.拙速は巧緻に勝る
2.まず全部作る
3.自分を個人事業主だと思うこと
と言われまして、今でもずっと守るようにしてます。
トーマツでは新卒の同期が15人ほどいたのですが、基礎知識や能力などで私はビハインドしていて入社後の研修はきつかったですね。その後クライアント配属になったあとも最初の1年は、自分の出来が悪すぎたから思い出したくないのか、仕事の記憶がほとんどありません。2年目の途中からは苦手なことはなるべく手を出さず、得意なプロジェクト全体のストーリー作り、分析、ロジックづくりなどにフォーカスするようになって少しコンサルらしくなった気がします。
前述の通り、私が上場準備で果たした役割はさほど大きくはなく、他のメンバー、特に私の後任として管理本部を担ってくれた執行役員陣によって成し遂げられたものだと前置きしたうえでお答えします。
ひとつは、フルリモートワーク企業での上場ということで前例のない論点がいくつも出てしまったことです。例えば、出退勤管理は通常の会社であればタイムカードとドアの開錠履歴を突合することでダブルチェックできますが、リモートワーカーに開錠履歴は当然ありませんから同じプロセスは作れません。結果として、Slackなどを使って解決したのですが、このような論点が継続的に発生しました。
ふたつめは、形式と本質の切り分けです。上場の要件として求められるものは、どれも本質的な目的があると認識しています。しかし、それを業務に落とし込むときには、形式的なルールに置き換えなければいけません。例えば、モノを買うときに購買稟議を通す本質的な理由は、しかるべき責任者が、支払先、目的、支払額を承認することで統制を利かせることにあります。ただ、それをルールに落とし込むと「このワークフローシステムを使って、〇〇部が事前にチェックし、最終的に責任者が承認する」という形式に変わります。すると、「ワークフローシステムが止まってしまったらどうする?」「急ぎの場合に〇〇部の担当がいなかったらどうする?」といった話がでたりします。答えは、「メールなどを使って責任者が承認する」で十分本質的な目的は達成できます。
逆に、責任者が休みなどでいないからと言って、責任者のIDをつかってワークフローに入り別の人が承認してしまったら大問題です。形式的には確かにあってるようにみえますが。このように、本質を理解して、形式にはまらないように議論をコントロールし、そのリズムを作り出すまでは形式に若干振り回されてしまう傾向がありました。
最後は、やはりステークホルダーとの合意形成です。ここは個別具体論点になりすぎてしまうため詳細なお話はしませんが、コンサルやファンド投資先の経験だけでは補完しきれない部分でした。
すみません、インタビューの意図に沿えてないかもしれませんが、CXOという役職自体にあまり意味はないです。象徴的に使っているのだと思いますが、最近は「CXOになりたい、役職がほしい」という方が増えていて違和感を覚えています。ある領域において、誰よりも成果を出すことができれば社内ではCXOの役職がなくてもリーダー・責任者として見られますし、そのような状態になればCXOという役職名を欲しいとも思わなくなります。
では、どうしたら経営レベルで成果が出せるか?という質問に答えるとすると「自分なりの原理原則を持って、それを徹底できるか」ということかと思います。すごく抽象的に聞こえるかもしれませんが、わりと地道・地味な話で、例えば私の場合は、「制度設計をするときは長期的に耐えうる形になっているかどうかを判断基準にする」、「体制づくりはレポートラインをいかにシンプルにするかを重視する」、「業績が良くなったり悪くなったりしたときは、構造的な理由なのか、一過性の理由なのかを切り分けて対応する(つまり一喜一憂しない)」「100点を目指して進まないくらいなら、60点でも前に進んだほうがマシ」などです。これらを持つことによって、瞬間的な判断が可能になりますし、ブレがなくなります。2-3年前に意思決定したことで、すでに記憶にないような話でも、同じ条件を与えられると全く同じプロセスをたどって同じ結論に至ります。
このような原理原則は、一つ一つの事象に真剣に向き合って必ず自分なりのスタンスを持つことでしか醸成できないので、小さい課題や仕事でも適当に判断しないこと、選択肢を出したり報告するだけでなく常にリスクを取って結論を出すスタンスで仕事をすること、など日々の積み重ねかと思います。そのような小さな積み重ねや、自分なりのスタンスがない状態で「とりあえずCXOのポジションが欲しいんです」というのは少し違う気がしています。
自分らしさとは?みたいな疑問をたまたま持ってしまったのが、大学生後半だったのが大きいですね。普通に就活をして、内定をもらいそのまま就職というコースに乗っていたのですが、このままではいけないみたいな気持ちが沸々と湧いてきて、自分でビジネスを展開したいと考えました。ハウスクリーニング業だったのは、親族が不動産関連の仕事をしていたので親和性のあるビジネスを展開すれば苦労は少ないだろうという考えで始めました。
数年たってビジネス成長が限定的であったこともあり、一度勉強が必要と考えました。当時の選択肢としては、MBA取得もしくは資格取得が浮かび、まだ希少価値の高い資格取得を選択しました。その際、子供のころから漠然となりたいと思っていた弁護士にするか、大学時代に知った公認会計士にするかという選択がありましたが、取得可能性と経営視点を得るためには、公認会計士の方が望ましいだろうと思って取得に至ります。
― ご自身の若手時代で特に印象的だった経験、意識されてきた点はどういった事だったのでしょうか
元々が起業から始まっているという経歴なので、いわゆる若手時代は社内に先輩などもおらず、会社をいかにスケールさせるかしか考えていませんでした。今振り返っても、若さゆえの貴重なチャレンジであったなと思います。
逆にサラリーマンとなるのは、会計士資格を取得してからで、同期は新卒世代のメンバーで、年齢ギャップがありました。でも起業するための公認会計士であったので、あまり気にすることもなかったですし、短期間で離れるだろうなと考えていました。
結果としては、EYでの在籍期間が15年ほどと、当初の思惑とは大きく外れたところは、予想外でした。理由としては、毎年経験する仕事も何かしら変化があり、成長実感を持てたので、やめるという気持ちが徐々に薄れてきたのがあります。チームで仕事をしていたので、つながりを実感してきたところもありました。
話がそれましたが、若手の時は自分の武器=経験を持つことだけに集中していました。私の場合は、それが資格取得であり、業務を通してのスペシャリストとしての経験でした。
入社タイミングが、9月で決算期変更も実施したこともあり、12月までの4か月間でPMIの遂行とレポートラインの円滑な運用が主な業務となります。今までオーナー企業として素晴らしい成長を遂げている会社ではありますが、ここから組織の力を結集することで、非連続な成長を実現することが求められています。PMIは一旦区切りがついたので、さらなる成長実現のための組織体制の構築や管理の高度化、グループ会社であるジャパンシステムとのシナジーの発揮が現在の業務内容となります。
お陰様で必要条件はそろっています。ファンドからの出資の少し後にServiceNow社からアメリカ以外で初出資を受けた会社となり、世界でも指折りの企業から評価されているBlueshipには成長しか似合わないです。
関係者の期待をエネルギーに変えて、走り続けたいですね。
私自身は経歴のところでお話しした通り、気づいたらCFOというキャリアに到達したという感覚です。日々の業務で一生懸命にやり続けることで、最短距離で経営者の一人としての経験を得ることができました。これは私にとっては大きな転機で、皆さんにもぜひ実感してもらいたいです。
経験する前後では、視座の持ち方など大きく変わりました。何よりも勉強する領域、割く時間の意識が全く変わりました。人生で一番書物を読んだり、交流を図ったりなど貪欲に色々なことを吸収したいと思える自分にも出会えました。
そういう意味では、まだまだ勉強中のCFOという段階ではありますが、皆さんに一言申し上げるとすると、自身のCFO像はどのようなものかを具現化しておくとよいかと思います。
CFOの方と話す機会も増えてきましたが、いろいろなCFOがいるなと感じます。CFOの役割は一定の型があるものの、自分の意識次第で大きく変化します。私自身は比較的幅広にやりたい性格なので、数字だけにこだわらず課題解消責任者として企業成長を推進できれば非常に達成感を持っています。この記事を読んでくれた方は是非、ご自身の理想とするCFO像を描いてもらって、それに向けての自分なりの経験を着実に積んでいただければと思います。色々な道があってよいですし、どの道でも経験値はたまります。
※1.LBP(ロングリーチビジネスパートナーズ)
2023年に設立されたロングリーチグループ内の常駐型バリューアップ実行支援コンサルティング会社。
投資案件のPMIの効率性及びクオリティーの向上やバリュークリエーションの再現性を高める。
※2.日本パートナーCFO協会
中小ベンチャー企業での社外No.2、パートナーCFOを広く一般に普及することを目的として、認定・教育・普及・紹介活動を行う一般社団法人。
https://p-cfo.or.jp/